△ 関連年表
1945.8.15 直後から各地に国語講習所
1946.1 初等学院 創設
10 初等学院 525(児童42182人、教員1023人)
中学校 7(学生1180人、教員52人)
青年学校 10(学生724人、教員54人)
1948.4 初等学院 566(児童58930人、教員1229人)
中学校 7(学生2416人、教員65人)
青年学校 32(学生1726人、教員129人)
10.5 東京朝鮮中学校に高等部を併設
15,22 GHQが文部省に指示
24 文部省学校教育局長通達 「朝鮮人学校の取り扱いについて」
-自主学校を4月以降に閉鎖
1~5月 全国で教育闘争
4.24 米軍神戸管区内に「非常事態」宣言
(日本占領期間内に出した唯一の「非常事態」宣言)
●朝鮮半島の分断を反対し統一を推進しようとする勢力を米軍が総力を挙げて弾圧した点において済州島4.3蜂起と関連。
米軍にとって在日朝鮮人は「後方基地の擾乱者」
1949.10.19 文部省管理局長、法務部特別審査局長連名の通達「朝鮮人学校に対する措置について」-92校を即時強制閉鎖
●制服としてのチマチョゴリについて
「約束」は1990年代の作品で、登場する朝鮮学校の女生徒はチマチョゴリを制服として着ています。
この「女学生のチマチョゴリ」は、1959年~60年代初め、祖国―朝鮮民主主義人民共和国への帰国事業が始まった時、当時の朝鮮大学校の女学生が「祖国の帰国船を民族衣裳で出迎えたい」と考え着用したものがその後高校、中学へと普及していったものです。
(解放後に制服というものはなく、50年代にセーラー服が制服になりました。)
1980年代後半から90年代にかけて「北の謀略破壊活動」や「送金疑惑」がマスコミで喧伝される度に、各地でチマチョゴリを着た女学生への暴言、暴行事件が多発、安全のため一時的にジャージやブラウスで通学する措置がとられるも、2002年以降(拉致事件)はチマチョゴリでの通学は極めて困難となり、「第二制服」での通学と学校生活が主流となりました。
演劇のラストシーンでの主人公の台詞は、現在には当てはまらないものとなっています。
- 2009-06-19 (金) 2:58